調査士までの道のり
- バドミントン

高校の思いでは、一にも二にも、部活動です。

正月元日のみ休み、一年中朝から晩まで毎日部活でした。

そんなに好きだったのかと聞かれると、単なる成り行きです。そもそも入部は、友達の誘いでした。当初は写真部に入部していたのですが、やはり体を動かさないとなんだか物足りなく、かといってやってみたい部活もない、そんな時バドミントンおもしろいよインターハイへいけるぞぉ、という友達の誘いに、ほとんど納得することのないままなんとなく入部していました。

入部直後は、コートの周りで、先輩の練習の応援声出しをやるのですが、これすらしばらく運動していなかったこともあり、その場に長時間立っていることに慣れるのに一苦労という感じでした。

部活の思い出のナンバーワンは、最初の合宿です。

入部後ほどなく、上級生が一人を残して退部してしまいました。それまで、インターハイに出場を続けていたクラブだったので、顧問の先生も慌てたのでしょう。入部後まだ2~3ヶ月の頃、急きょ2泊3日の合宿が行なわれました。

合宿自体も初めてで、どんなものなのか未知の世界。これがいざ始まってみると壮絶なものでした。早朝マラソンから始まり、午前の筋トレ中心の練習だけですでに全身筋肉痛、昼食は気持ち悪くて食欲ゼロのなか何とか詰め込んで午後練習、夕食後の夜練習まで、3日3晩寝ないで部活漬けかと思うぐらい、ながーい、きつーい1日でした。

終了後は、無言で宿舎へ向かうロボット歩きの集団と化しました。

しかし最高な体験も出来ました。大浴場の湯ぶねに入ると、縮みあがった全身の筋肉が、ふわーと解き放たれていくような、最上の極楽湯でした。

今思い返しても、この時以上に気持ちのいい入浴は経験してないですね。

この悪夢の3日間は、後の合宿恐怖症へとつながったのでした。

翌合宿は、4泊5日ときたもんだ。その決定以降私は何をするにも超ブルー。ひとときも楽しく過ごせることはありませんでした。

ところがいざ始まってみると、前回と違い日程的にも先生の精神的にも余裕があり、スローペースな合宿となったのでした。私達は、最後まであの悪夢がいつ来るんだという恐怖と戦っていましたが、結局その思いだけが苦痛であり、肉体的なダメージは耐えられる合宿でした。

このことは、私に重大なことを気づかせてくれる出来事となりました。

私は、合宿が決まった後の1ヶ月ほど、暗雲漂うものすごーく気分の悪い日々を送っていたのです。しかもそれは、現実に悪いことが起こったのではなく、単に私の頭の中で、勝手に想像した悪夢に支配されていただけなのです。つまり、杞憂せず過ごしていれば、合宿までの1月も合宿中も平常心でいられたはずなのです。私にとって大きな亡失感と、大きなショックでしたが、それとともに、大きな発見をすることとなります。人間てのは思考だけで辛くも楽しくもなれる。ということは、自分をコントロールできるんじゃないか。このことは、後の人生を大きく変える体験であり、発見でした。

それ以降、何かを始めるとき、ネガティブなことを想像することはやめて、とにかくやってみる、ぶち当たってみるという事を心がけるようになりました。

こんな練習を送りながら、私の技術は大して上達もしませんでしたが、皆の力で、県予選の団体戦を制し、鹿児島で開かれたインターハイへ出場することが出来ました。

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