調査士までの道のり
- 年金のもらい忘れ

年金担当 – 前編

それでは、何をしたかったのかと申しますと、年金のもらい忘れの掘り起こし作業です。

戦時中ですが、軍需工場で働いた期間の年金を請求していない人が多くいるのです。

混乱期でもあり、そんな当時、年金なんて考えてもみないというのは、想像のつくところですね。ここのところの年金問題で、耳にする機会も増えていますね。

この業務での私の目標は、年金受取の口座をわが労働金庫へご指定頂くことと、一括で給付される貰い忘れ年金を預金して頂く、というものです。

さて、いざ始めてみますと計画自体なかなか立てられない、そんな日々のなか焦りだします。たとえ対象者が見つかっても、社会保険庁での調査が2~4ヶ月かかり、その後給付までまた2~4ヶ月となると、成果として現れるのは半年ぐらいかかります。1年限定の業務ゆえとにかく対象者を探さなくては、、、そこで、私がとった行動は住宅地図片手にかたっぱしから飛び込み訪問。一軒一軒説明をして歩きました。とはいえ全国のどこかに対象者は必ずいると研修で聞いたけれども、この地域にいるかどうかは全く不明。名案もなく半ばやけくそ状態の行動でした。何分手当たり次第の訪問なので、年金受給世代にあたることも少ないうえ、もともと貰い忘れ対象者が少ないこともあり難航します。そんななかでも、戦時中の話を聞けることもありました。

乳飲み子を背負って夜中に山をいくつも越え、僅かばかりの食料を手に入れて戻ったところで、兵士に取り上げられてしまった。

戦火の中、すぐそばの兵士が次々と銃弾に倒れていく情景。

「米の色は黒か白か?」上官からの問いに、白と答えては殴られる。

個人に選択の自由が無かった時代。

自分は幸せな時代に生きているということを、それまでぼんやりと思っていましたが、様々な戦争体験を聞く中で、今までの自分の考えや行動がなんとも甘ったれの幼稚なものだったのかと思い知らされました。今は、何でも選択できるゆえに楽な方へと心はなびきがちです。まして、自分が選択しているという意識さえ働かない場面も多いのではないでしょうか。こんな自由な時代が永遠とは限りません。今、私達が突然戦下に置かれた場合、耐え抜いていける人はどれだけいるのでしょうか。自由に選べる今こそ苦しい道を歩んで耐える力を養うべきではないかと痛感しました。

それから、地図をたどっていかない限り知り得ないような家、街中から少し入っただけなのに時代錯誤に陥るような。そこには、一人暮らしのお婆ちゃん。足も不自由でたまに知り合いが食料を届けてくれるという、生活費も僅かで、本当に生活できるのかなという驚き。戦争で悲惨な思いをした方々が、今もこんな辛い思いをしている。日本社会は、総中流階級というような自分のイメージを根底から覆す出会いでした。

年金担当 – 後編

対象者になかなかめぐり合えないうえ、業務成果の一向に上がらない私へ支店内からの視線も辛いものがありましたが、こういった方々の少しでもお役に立ちたい、また、これしきのことで音を上げていては、戦争で苦しい思いをして私達に世代をつないでくれた方々に申し訳ない、少しでも恩返ししたい、というような思いが、活動を続ける原動力となりました。

そんな活動を続けているうち、少しずつ調査対象が出てきました。その一件一件を社会保険事務所に調査依頼を申請した数ヶ月後、とうとう貰い忘れ年金が出てきたのです。

今まで貰っていない年月の年金については、一括支給されるので、数十万円から多い方では500万円超の方もありました。そして、それ以降の年金については上乗せされて支給されるのです。実際通帳に入るまでは、こちらも半信半疑でした。(何分机上の知識だけでしたので。笑)

受給後も驚き体験はありました。

受給された方がお礼にきて下さるのですが、中でも一人のおじいちゃんは支店の全員(用務員さんも含めて)に南部鉄瓶を下さったのでした。このおじいちゃんの一括受給は、500万円ほどあったと思いますが、私達へのお礼の残り全てを近くの神社に寄付されたのです。私は、失礼ながらおじいちゃんの質素な暮らしぶりを拝見していましたので、支給された年金で冬の寒さをしのげるものでも買ってくれるかな、と思っていたので、全く恐れ入ってしまいました。

おじいちゃんの心を満たしてくれるのは、物なんかではなかったのです。どうしても物欲を求めがちな自分に喝を頂いた思いでした。私が足を向けて寝られない方のお一人です。

私が労金を退職してからも、この時の方々はいつも年賀状を送って下さいました。その義理堅さには、敬服いたします。

あんなこんなの短い期間でしたが結果としては、一括受給分を定期預金に、また年金受給の口座をご指定頂き、労働金庫の新たなお客様を増やすことが出来ました。

終了直後は、自己満足でしかありませんでしたが、労働金庫全国紙の取材を受け客観的に評価を頂けた事で、意味のある成果を挙げられたという確認が出来ました。

それまでの業務は、担当部分の業務についてマニュアルに沿って行なうものでしたので、何もかも自分で計画決定していくこの経験は、独立開業する上で大変役立ちました。

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